彩 diary

再婚した元シングルファザーの成長日記

大人とは何か【60歳でも子供の人とは?】

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大人になるとはどういう事なのでしょうか。

よく「実年齢と精神年齢は比例しない。」と言いますが

では、その精神年齢が大人というのはどういった人のことを言うのでしょうか。

 

とりあえず、 ふと頭に浮かんだものを挙げてみたいと思います。

 

 

・気持ちに余裕がある

・マナーをわきまえている

・他人のことを思いやれる

・感情的ではなく、冷静に物事を判断できる

・自分よりも相手を優先できる  etc.

 

 

上記の内容は、大人という区分ではなく、性格的な区分もあるかもしれません(^_^;)

しかし、これらをバランスよく身につけている人は、周囲から「大人だな」と感じられる可能性は高いと思います。

 

ただ、こういった「大人像」は

「大人はこうでなければならない」という捉え方もできる為

そもそもの性格が真逆の人にとっては生きていく障害になる可能性もあります。

 

 

 

一般的に、「大人」とは何なのか

goo国語辞典によると

  1.  成長して一人前になった人。

    1. ㋐一人前の年齢に達した人。「入場料大人200円、子供100円」⇔子供

    2. ㋑一人前の人間として、思慮分別があり、社会的な責任を負えること。また、その人。「大人としての自覚」「青臭いことを言ってないでもっと大人になれ」

    3. ㋒昔は、元服後の男子、裳着 (もぎ) を済ませた女子。

      「―になり給ひて後は、ありしやうに御簾 (みす) の内にも入れ給はず」〈・桐壺〉

  1.  一族・集団の長や、年配で、主だった人。長 (おさ) 。頭 (かしら) 。女房の頭、武家譜代の老臣、大小名の家老宿老年寄などの類。

    1. 「父 (てて) は、ただ我を―にしすゑて」〈更級

    2. 「資賢卿 (すけかたのきゃう) はふるい人、―にておはしき」〈平家・二〉

 

とのことです。

つまり、「こうなったら大人」という定義は曖昧という事です。

そんな曖昧な言葉の為に、自由に生き辛くなっても良いのかと疑問に思ってしまいます(^_^;)

 

では、昔の偉い方の考え方を見てみたいと思います。

 

 

 

 

アインシュタインの言葉

 

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出典:maxisciences

アインシュタインは言いました。

「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」 と。

 

偏見、つまり偏った考え方。

簡単に言うと

「18歳までに身につけたものは、あくまで自分自身の偏った考え方(偏った固定概念)の集まりの為、疑ってかかった方が良い」

という意味です。

 

この「常識」を「大人」と言い換えたらどうなるか。

 

「大人とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

 

2016年から選挙権が20歳以上から18歳以上に引き下げられた為

18歳からはもう大人という考え方でいけば、これはこれでしっくりくると思います(^_^;)

 

皆が思っている「大人」は、あくまで偏見のコレクション(偏った考え方の集まり)なのかもしれません。

実際のところ、15歳でも精神年齢が大人な人はいますし

60歳でも精神年齢が子供だなと思われる人もいます。

 

年齢で大人かどうかを判断するのはあまり意味が無いのかもしれません。

 

 

お釈迦様の言葉

 

 お釈迦様が亡くなられるにあたり残した教えに

 

「八大人覚(はちだいにんがく)」

 

というものがあるそうです。

言い換えると

「八つの大人の自覚」

です。

 

 

 

①少欲(しょうよく)

 欲を少なくしなさい。

 (欲を無くせよとは説いていません)

 

②知足(ちそく)

 足ることを知る。

 (これで十分と知る心)

 

③寂静(じゃくじょう)

 静けさを大切に。

 (情報過多の現代では、情報から離れて静かに自己を見つめることが大切)

 

④精進(しょうじん)

 励むこと。

 

⑤不忘念(ふもうねん)

 正しい教えを心に念じて決して忘れない。

 (いつも念じ続けること)

 

⑥禅定(ぜんじょう)

 坐禅して心を静めること。

 

智慧(ちえ)

 現象の背後にある道理を見極める心 

 

⑧不戯論(ふけろん)

 無益な議論はしないこと。

 (無益が議論をするよりももっと今なすべきことがある)

 

 


僧侶は、大人になるべく修行をします。

 

自分自身が、一人でも強く生きていける力

あらゆる苦しみに打ち克つ力

 

そういった「自分へ厳しくする力」を培うと、自然と他人に優しくなれるのかもしれません。
自分だけの小さなものの見方、自分を中心としたものの見方である我見を離れて、小さな自己から大きな自己へ目覚めていく生き方は、仮に年齢が若くても可能です。
反対に60歳の大人でも、自己中心的な生き方しかできない人はいます。

吾我、自我、自利の人は、あさましい生き方と言えるのかもしれません。

 

 

 

最後に・・・

「大人」というのはとても抽象的な言葉です。

その人が本当に大人なのかを判断するうえで、その人の中身まではいちいち見ることができない為、都合の良い指標で「年齢」が使われているだけなのかもしれません。

「20歳を超えたらいきなりお酒も飲めるようになって、大人の仲間入り~」

などと言われますが、単に年齢という条件を満たしただけで、中身も年齢同様に精進していかなければ、いつまで経っても大人にはなれません。

自分の人生の責任は自分でしか取れません。

意識を持って、より成熟した人間になれるよう、精進していきたいと思います。